ライフスタイルを新しく見つめなおす。

ライフスタイルは常に新しくしておくことが自分をより高い精神レベルへと押し上げていく。日常を非日常へと変えるために。

チャレンジしたことはOKだ。結果はどうであれ。

あるコンペがあって、まったくその分野でやったことがなかったけど

チャレンジしてみた。

 

その結果が今日メールで届いた。

 

選考漏れ。

 

つまり受からなかったということ。

 

 

チャレンジしたことはOK.

 

結果は残念だったけど

これは当事者じゃないと感じ取れない

悔しさとかむなしさとか

 

自分のどこの出した書類のどこが悪かったのか?

いろんなことを感じ

敗北感も味わった。

 

でも、これを知ってなければ

ある意味ネガティブパワーで

チャレンジしようと行く気持ちもない。

 

ただ合格したら、それだけ

今の感情を味わうこともない。

 

選んでくれなくて・・・「ありがとうございます。」と

感謝したくなってきました。

月末に思うことは、来月に活かさないともったいないだろ?

毎月末に「今月はこうだったなぁ~。なんでだろう~」「来月こそは・・・」

と思うことがある。

 

でも、それを来月に入った瞬間に忘れて

だらだら。なんとなく。過ごし

 

また月末に・・・同じような心境になってしまう。

 

「今月はこれもやった!あれもできた!」

という認めることをして

 

そこから「じゃあ?できなかったことは?改善した方がいいのは?」

 

という流れを作らないと

同じ岩を山頂に押して運び、頂上にきたら転がっていく

シーシュポスの神話みたいになってしまう。

 

 

やってみるのは

人の人生を生きてしまう。 それが自分。

誰かに褒められたくて。 誰かにすごいと言われたくて

ついつい本当の自分を手放して、その人がイメージする自分になっている。

 

それはそもそもいつから?

小さいころ、母親と一緒に宿題した時から?

 

大きいモノにはまかれなさい。と言われたから?

人より目立つことはするな?と言われたから?

 

あれって今思うと

子どもに余計な苦労をさせたくない母の目一杯の愛情。

自分が受けた嫌な感情や体験を子供にさせたくないと思った

母の優しさ。

 

でも、子どもってまっさらなキャンバスなんだよね。

そう言われたら言われたとおりのことを描き上げて

 

これが自分の人生で大事なもの。 自分なんだと思っちゃう。

 

 

どっちでもいいんだよ?

本当は。

 

もう一度白いペンキで塗ってそこに塗りなおしてもいいし

削って削ってもう一度描いてもいいし

 

そんなキャンバス破って捨てて

新しいキャンバスを用意してもいいし。

 

 

そして余白に、「母は言いました。それもOK」

「でも自分が本当にしたいことはこれです。」と

横に描いていくのもいい。

 

やり方は何百万、何千万通りある。

人の数だけ生き方進み方ってある。

 

 

 

とりあえず今日の目標。ブログ立ち上げと記事3つ。

はてなブログを1個立ち上げた。

 

そしてさっき1つ記事を書いた。

 

これだけで・・・80%達成。

もう褒めよう。 できた自分を褒めよう。

 

 

誰も褒めてくれない!という前に

誰よりも自分自身を褒めよう。

 

 

これこそが日常を非日常に蛙ワーク。

でたよ!おやじギャグ。 

 

正しくは「変えるワークね。」

 

 

こだわりもルールもとりあえず横に置いて書いていく。

この瞬間がもっとも自分らしく生きている感じ。

 

まさに「newlife」 誰でもない自分にしかできないこと。

 

「今を生きる」こそ、物事がうまく回り始まる瞬間。

 

さぁ!次の記事を書いたら100%完成。自分的には200%だな。

 

良いも悪いもごった煮だから人間。

こうやってかける世界があるだけで幸せだと感じています。

 

「ありがとう。」と言える。 「でもな~。」と感じる

 

両方があって感じる瞬間に、判断しないことを始めてます。

 

 

何の話か?読んでいてわからなくなってしまうこともありますが

原稿がない分、フリートークみたいなブログになりそう。

 

 

だから、誰かに見られているからとか

何か言われるからとか氣にしないで

 

もっと自分に楽に(肩に力を入れず、手も強く握ることなく)

自然体で書いていこうと思う。

 

 

ということで・・・敷くよろ「ヨロシク」(笑)

でたよ。おやじ逆。親父ギャグ。